話をしよう。あれは今から3年・・・いや、5年前だったか。まぁいい。
どうも、七号です。
私にとっては本当につい昨日の出来事のように思えます。
さて今日はおもひでぽろぽろ回です。
一部インターネッツで取り上げていただいた開発期間5年かかった件ですが、
これだけかかっていれば様々なルールの変更で色んなスペックやゲーム性を経て今の形になっています。
今回はその一つであるA+ART時代について少しお話します。
そもそもこの台が最初にスペックを検討し始めた段階が昔懐かしの5.9号機時代。
ちょうど有利区間という概念が登場したころでしょうか。
そんな折にスペックの検討を開始した我々は様々な議論を経てA+ARTで開発を開始し今に至るのでした(完)
――――――――――――――――――終了――――――――――――――――――
――――――――――――――――――再開――――――――――――――――――
とまあこんなスムーズに完するはずもなく、
そこから6.0など様々なバージョンを経て現在市場に出ている形になったというわけです。
ちなみに既にこの5.9時点で液晶演出の作画を初めていたため、その時の名残が今でも残っています。
あまり出てこないVSカズマは熱いボーナス煽りの連続演出で使う予定だったやつですね。
今ではお風呂煽りになっていますが・・・。
この時はクエストもARTの前兆ステージでした。
クエストのクリア度合によってARTの初期ゲーム数が異なる、みたいな仕様も検討していました。
キャベツを集めれば集めるほど初期ゲーム数が多い・・・的なやつですね。
上記の仕様からも分かる通り、そもそもこの時はゲーム数管理のARTだったわけで、
爆裂魔法ぶっ放して上乗せするゾーンとか考えてた覚えがあります。
あとそういえばこの時は筐体も違って、GAMERAと同じ筐体の予定でした。
とまあこんな感じで本当に色々な仕様が違ったわけです。
まあスペックの規則や市場の環境が今とはあまりに異なるわけですから当然といえば当然なのですが、思い返すほど「君なんか最初と違わない?」となりますね。
そしてこの5.9からさらに何度か変化を遂げるわけですが・・・
それはまた別のお話し。